第42回法善寺横丁まつり!
- eikautumi
- 8月11日
- 読了時間: 3分
なぜ「法善寺横丁まつり」 かって?
それは
むかしむかし上方の落語家で
六代目笑福亭松鶴という怖いコワイおっしゃさんがおられました。
おっしょさんは、とてもとても上方がすきで
なかでもミナミの法善寺横丁が大好きでした。
道頓堀角座に出演した時は、法善寺横丁の路というBARで美味しいお酒と楽しいお喋りで楽しんでおられました。
その頃の法善寺横丁は アスファルトがひかれていました。
それを、六代目のおっしょさんのお声がけで石畳にしようと!
そして阪堺電車の路面電車に使われていた敷石を譲り受けて石畳にしたそうです。
その石畳をひかれたのが
1982年8月11日
そして
第1回法善寺横丁まつりが翌年の1983年8月10日と11日に行われるようになました。六代目のおっしょさんは法善寺横丁の名誉町民になられたそうです。
その六代目のおっしょさんは、3年後の1986年に亡くなられました。
その後は
六代目のおっしょさんに負けず劣らず
法善寺横丁を愛する三代目桂春團治師匠が名誉町民となられました。
その頃英華は難波に住んでいて
法善寺横丁を通らない日はありませんでした。
「洋酒の店 路」さんには三代目のおっしょさんによく連れて行って頂きました。
でも
その頃路には
こわーーーーーいママさんがおられました
ママさんの名前が美智子なので「路」やそうです。
「私はなぁ 美智子妃殿下とおんなじ字やねんで!」
となんども言うてはりました (笑)
そのママさんに
「あんたには この店はまだ早いなぁ。」
と言われました。
それからだんだんお店に行く回数も増えて、はじめは「あんた」と呼んでいたママさんも私の働きを見ていてくれたのか!
やっと「英華ちゃん」と名前を呼んでくれはりました。
この時は嬉しかった~~💕
その頃から
「英華ちゃん、法善寺横丁まつりで春團治師匠と一緒に来て三味線弾いてくれへんかなぁ。」
と声をかけてくれはったんです❗
嬉しいーーーーーーー‼️
それからは毎年法善寺横丁まつりに参加させて頂いております。
平成6年に大阪市の「咲くやこの花賞」を受賞した時
ママさんから
「英華師匠」
と言って頂いた時は本当に嬉しかった❗
なんか出世魚になった気分✨
ママが
「師匠!これ」といってくださったのが

法善寺会の法被! 名前入りです。
これ自慢してもいいですよね💓

そして今年の法善寺横丁まつり

あいにくの☔の予報でしたので
三味線はお休みで地車の踊り手で
オープニングをさせて頂きました。

雨にも関わりませず、お越し頂きました皆様!
ありがとうございました。
また是非法善寺横丁で
楽しい時間をお過ごしくださいませ💓
番外編

準備が終わって本番まで
喫茶アメリカンでの一服☕
路さんで準備完了

打ち上げーーーーーー🍻











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